【三つ目の願い、真実】





「ノーガルド。出てきて」
『お呼びですか。我が主よ』


 石を擦って呼び出したノーガルドは、いつになく真剣で……否、それだけとは思えない顔をした龍亞を見て、ふむ、と顎に手を置く。


『そのお顔。お決まりになりましたか』
「うん。三つ目のお願い、叶えて欲しいんだ」


 ぎゅ、と唇を噛むようにして、龍亞はその願いを言う。――――これから遊星とデュエルする。そのデュエルに、勝ちたいと。



「遊星がね。オレのヨーグルトを食べたの」
『ほう』
「前からずっと食べたかったヨーグルトで、それが今日やっと買えて、食べるの楽しみにしてたのに……遊びに行った先でうっかり冷蔵庫に入れたまま忘れちゃって、慌てて取りに行ったら」
『不動遊星に、食べられていた』
「そう。忘れたオレも悪かったんだけど……それでも、どうしても許せなくて。だからデュエルしろって言っちゃった。……オレ一人じゃ、遊星には到底及ばないのに」
『成る程。事情はよく分かりました』


 話していく中でどんどん頭が下がっていってしまう龍亞に、ノーガルドは笑みを浮かべる。……嬉しそうに。心底、嬉しそうに笑う。



「ごめんね。最後のお願いだってのに、こんなくだらない事で使っちゃって」
『何を仰います。とても素晴らしい願いですよ。……さて、デュエルはいつ始められるのでしょうか』
「ん。デッキ編集をするから、二十分待ってろって言って出てきたんだ。だからあと、五分後にはデュエルを始めるよ」
『左様にございま』





 キキィイイィイイイ――――ッ!!!!!!!





 ノーガルドの言葉を遮るようにして聞こえた、激しい急ブレーキ音。そして、ドン! と、何かがぶつかったような鈍い音、悲鳴。


 只事ではないその音は噴水広場の方から聞こえてきて、それ以上の会話を切り上げ龍亞達もそちらへと向かう。たくさんの人ごみ、見えずともしっかりと聞こえる子供のわめくような泣き声、そして、聞き覚えのある、女の人と複数の男の人の声……いや、この、声は、



「遊星、遊星遊星!! 遊星、しっかりして遊星っ!!」
「落ち着けアキ!! とにかく止血、それから腕を固定しとかねーと、ジャック、ガーゼじゃ足りねぇ!! タオル持ってきてくれっ!!」
「言われなくとも分かっておる!!」


「アキ姉ちゃん、クロウ、ジャック……? え、一体、何が起こっているの?」
『……ほぅ。成る程。これは中々の事態ですね』
「ノーガルド? 一体何があったの?」
『不動遊星が車に撥ねられたようです』




 フドウユウセイ ガ、 クルマニ ハネラレタ ヨウデス 。


 野次馬達の上を飛んで状況を見たノーガルドの伝える言葉が、龍亞の脳内で、酷くゆっくりとリフレインする。そして脳がその言葉を認識しようとするのを、体中の細胞が拒む。




「……っ、そ、だ」
『ふむ。どうやら道路に飛び出した子供を庇って撥ねられた様ですね。あぁ、その子供の母親らしき人物が駆け寄ってきています』
「うそ、だっ」
『ぶつかったのは普通車ですか。不動遊星の損傷具合から考えて、余程悪い当たり方をしたのでしょう。あぁそれとも、飲酒や居眠りの類で、撥ねてから急ブレーキを踏んだのですかねぇ。いや、それでは先程聞いた音の順序が合いませんか』
「嘘だ、嘘だ嘘だ、そんなの、嘘だ……ッ!!」


 ノーガルドが淡々と紡ぎ続ける“事実”を受け入れず、龍亞は必死に人込みを掻き分け現場へと駆け付けようとする。が、その時けたたましい消防車のサイレンが聞こえてきて、ノーガルドが龍亞に冷静に声を掛ける。



『主。貴方様の後ろから、消防車がこちらへ駆け付けております。不動遊星を助けたくば、この小道に群がる野次馬達を左右に割る方が賢明かと』
「消防車!? 救急車じゃなくて!?」
『この時代の知識で短くお教えいたしますと、消防士は、応急処置のプロにございます』
「!!」

『彼のお仲間の処置も中々素晴らしい物ですが……消防車が通れなければ、救急車も通れはしません』
「っ、み、皆どいて! 消防車が来たからどいて!! 応急処置のプロが来たから、お願いだから道を開けたげてぇっ!!」



 龍亞の叫びと消防車のサイレンに、集まっていた人込みはわらわらと横に開き、そこを通った消防車が遊星達のいるメインストリートへと停止する。開けた視界の先では、セキュリティによって既に道路の封鎖がされており、消防士が倒れている遊星の元へ駆け寄っているのが……遊星が、血を流し、倒れ、て、いる……!!!




「……ぁ、あ」

 足が、足が震えて、動かない。動けない。あの場に行きたいのに、駆け寄りたいのに……行けない。だって、行っても……行っても、オレに、何が……ぁあ、違う。違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う……分から、ないけど……きっと、違う……っ!!!!


 動かない遊星。涙を溢れさせ流し続けるアキ。消防士が応急処置をするのを、動けずに唯見下ろす、ジャックとブルーノとゾラ……血に汚れた、クロウ……あの血は、全部、遊星の……遊星の……



『主。救急車が到着しますよ』

 ノーガルドの、いっそ感情が無いのかと思える程冷静な声が龍亞の体の中を通り抜けた後、封鎖した道路の向こうから救急車が駆け付けるのを、龍亞は何も言葉を紡げないまま、呆然と見続けていたのであった。









 ドップラー現象で、来た時とは異なる音を響かせながら走り去る救急車。遊星と、同乗者としてブルーノとアキを乗せた救急車が、封鎖された道路を抜けて病院へと走っていく。ブルーノが乗ったのは、医師の話を論理的に冷静に聞いて、後から駆け付けるジャックやクロウに話せるだろうという考えから。アキが乗ったのは、遊星の元を離れたくないと、離したら壊れてしまいそうな声で訴えていたから。


 ……そして、遊星の傍にすら近づく事が出来なかった龍亞は、ジャックと共に狭霧の運転する車に乗って、病院へと向かっていた。クロウは血まみれの服を着替えてから、ブラックバードで駆け付けると言っていた。だからこの場にいるのは三人だけ。ノーガルドも、今は姿を現していない。



「……龍亞」
 今まで見た事がない程青褪めた顔で黙っている龍亞に、隣に座っていたジャックが名前を呼ぶ。びくり、と反応するも返事をしない龍亞に、ジャックは、事実をなぞって、事実だけを口にする。



「遊星は、お前が提示した二十分の間に、食べてしまったのと同じヨーグルトを買いに行った。お前とのデュエルに勝とうが負けようが、奴はお前に謝るつもりで買いに行き、そしてその帰りに事故に遭った」
「っ……」

 それは、龍亞にも分かっていた。あの時、遊星達を乗せた救急車が走り去った後。こちらに気付いて駆け寄ってきたジャックに手を引っ張られた時、クロウが拾っていた、歩道の方に転がっていた白い袋の中から飛び出した、逆さまになっていた容器を見たから。その容器を見ただけで、痛い位にその事実が心を襲ったから。



「だが、お前のせいではない。何度だって言おう。遊星が事故に遭ったのは、お前のせいではないのだ」

 自責の念に囚われ、行きたくないと抵抗した龍亞に、貴様は何も悪くない!! と一喝し、車の中へと投げ入れた。そして今も同じ言葉を用いて、責める事をしない。それが龍亞には、信じられなくて、吐き気が込み上げるほど気持ち悪くて……いっそ責めてくれた方が、ずっと楽だと思える程の感情に押し潰されそうだった。だから龍亞はそれ以上の言葉を聞きたくなくて、必死に耳を塞いで、首を横に振った。ジャックと、ルームミラー越しに伺っている狭霧の視線が、たとえその意は無くとも龍亞には鋭い針のようにぶすぶすと突き刺さっていく。塞いだ片方の手にそっと触れ、ジャックは、龍亞にとっては驚愕の事実を口にする。



「遊星も、お前と同じ物を買っていたのだ」
「…………ぇ?」

「そしてそれを冷蔵庫に入れていて、それをお前が来る前にブルーノが食べてしまった。そこにお前が自分のヨーグルトを入れて忘れて帰り、遊星がそのヨーグルトを食べた。ブルーノが既に食べていた事を知らなかった遊星にとって、そのヨーグルトは忘れて帰ったお前のものではなく、自分が購入した物という認識だった。……その事実に気付いたのは、お前が奴にデュエルを挑み飛び出して行った後だったがな」
「……そんな……じゃあ、遊星は」


「遊星がお前のヨーグルトを食した事実は変わらない。だがもしお前のものだと知っていたら、奴は絶対に食べたりなどしなかった。……悪い偶然が重なり合い、気付かぬ内に食べてしまった。そして奴が事故に遭ったのは、お前の分のヨーグルトを買いに行ったからではない。道路に飛び出した子供を庇ったからだ」
「…………」


「確かに、お前に原因がまったくないと言えば、嘘になるかもしれん。が、けして元凶に成り得る原因でもない。すべては、作為を覚える程絶妙なタイミングにより、悪い偶然が重なり合った結果。それを履き違える程、俺達は馬鹿ではない」
「……ジャック」
「アトラス様、到着しました」
「うむ」

 ジャックはそれ以上、龍亞に何も言う事は無かった。病院の入口ギリギリの場所で止めた狭霧は、ジャック達が降りたのを確認した後すぐさま出発していった。おそらく今回の事故の本来の担当である部署に、状況を説明しに行くのだろう。その場に一番に駆けつけたセキュリティとして、彼女にはその義務があった。だがその義務に当たるよりも前に、彼女はジャックの為に車を回した。クロウ同様、普通の車よりも遥かに速く病院へと駆けつけられるであろうホイール・オブ・フォーチュンに乗らずに…………龍亞の中に渦巻く、誤解から来る自責の念を断ち切る為にわざわざ車に乗ったジャックの為に。



「ジャック……」
「奴は、この程度で死ぬような男ではない」

 その事に龍亞が気付いたのか否かは、分からない。が、その呼びかけに対して返ってきたジャックの言葉は……そうであるに決まっていると、どこか祈りにも似た響きと、焦りが滲んでいた。










 そして今、龍亞は遊星が搬送された病院の屋上にいた。遊星の手術は、まだ終わってはいない。



『かなり、当たり方が悪かったらしい。いくつかの重要な臓器の損傷。四肢だけじゃなく、あばらや腿等の骨折。撥ねられて落ちた時に頭を強く叩きつけられたのもあって……そっちのダメージも、けして軽視出来るものじゃないって』


 手術室の前に駆けつけた二人にブルーノが話してくれた説明が、頭の中で再生される。出来うる限りの事はするが……一命を取り留めても、意識が戻るかは分からない。そして目覚めても元の日常生活に戻るには長い時間を要し……もう、ライディングデュエルは出来なくなるだろうと……そこまで聞いた所で、龍亞の記憶はふつりと途切れた。

 気を失った訳ではない。彼の脳が、それ以上の情報を記録し、記憶する事を拒んだ。心がからっぽになった。空洞になった心の中を、耳から入ってくるアキの泣いている声が空しく通り抜ける。だけど龍亞の心には響かない。どんな形の情報としても残らない。




 その時、無意識に胸に手を置いた。……布越しに触れる、小さくも固い感触。

 ……そうして気が付けば、龍亞は屋上に来ていた。その目に、頭に体中に流れる、たった一つ生まれた感情に突き動かされるようにして。




『お呼びですか。我が主』

 服から出したペンダント。そのトップとして括り付けられた石を、擦る。すぐに現れたノーガルドは、何故龍亞が屋上にいるのかという疑問にも首を傾げる事はなく、ただ静かに言葉を待つ。



「……ノーガルド」
『はい』

 口から零れたその声は、まるで一週間ぶりに口を開いたかのようにぎこちなく、渇ききり、掠れていた。だが呼ばれたノーガルドは余計な事は喋らず、ただ返事だけをする。


「……遊星は、助かる?」
『……一見してきても、よろしいですか』

 こく、と龍亞が頷くのを確認した後、まるで水の中へ潜るように半透明状のノーガルドがコンクリートの床へと消えていく。三秒程して浮上してきた彼は、ハッキリと言い切った。



『まず助からないでしょう。優秀な腕の医師達が懸命に命を繋ぎ止めようとしておりますが、それよりも早く不動遊星の魂が肉体から離れようとしている。おそらく今彼の魂は生と死の境を彷徨い、限りなく死の世界へと足を進めている。心拍が停止するのも時間の問題です』
「……っ」
『しかし弱りましたね。彼が死んでしまえば貴方様の三つ目の願いが叶えられなくなる。お手数ですがまた別の願いを考えていただく事になりますかね』



 ノーガルドの言ったその言葉は、思ったままを言ったのかそれとも、促しだったのか。ぎゅっと両手を握り締めて振り返った龍亞の、その言葉を予想していたのだろうか。



「ノーガルド」
『はい』
「……三つ目の願いを、変更する」
『……』



「遊星を、助けて」

 彼の魂を呼び戻して。彼の体を元通りに治して。またライディングデュエルが出来るように、してあげて。



 ――――龍亞の、変更された最後の願いに、ノーガルドは静かに、瞳を閉じた。


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