昔々、ある所に、一人の王子様と執事がおりました。


 王子様は大変やんちゃな方で、いつも城を抜け出しては教育係を怒らせておりました。そして執事はそんな王子をいつも迎えに行く日々を送っておりました。



 けれどそれは、二人が初めて出会った時から繰り返されてきたものではありませんでした。

 これは、彼等の出会いからこれまでの『始まり』を、短く纏めたお話です。










 今から十一年前、ユウセイは使用人としてあるお城に仕えておりました。故郷の貧しい家族に少しでも多くの仕送りをする為にと、何時間も汽車に揺られ、遠い遠い首都へと奉公に出てきていたのです。


 その頃の彼はまだ十一歳の誕生日を迎えたばかりで、当然執事としてなど扱えない半人前以下の使用人でした。では何故そのように幼かったユウセイが、出稼ぎに出てきて突然城で働けるようになったのか。それを彼に聞いてもきっと答えてくれる事は無いでしょう。不思議な縁と繋がりが幾重にも連なり、必然にも似た偶然が彼をそこへと導いた……訝しの目で首を傾げようとも、きっとそれが真実なのです。





 そしてユウセイが城に仕えて一年と半年が経った頃。この世に新しい命が一つ……いいえ、二つ誕生しました。王と王妃の間に生まれた三番目の子供は、男の子と女の子の双子でした。王様は双子にそれぞれ、ルアとルカという名前を付けました。



 王様と王妃様は、お互いに不思議な力を有している夫婦でした。その力を上手く使う事でこの国に平和と繁栄を齎し、他国の侵略を悉く潰して来たと言っても過言ではありません。その双子だけではなく二人の間に授かった子供達は皆、何かしら不思議な力を持って生まれてきた子供達ばかりでした。


 しかし、だからだったのでしょうか。双子として生まれたから、だったのでしょうか。生まれてきた双子の内、特別な力を持っていたのは女の子……ルカだけでした。兄であるルアには、何の力も備わってはいませんでした。国全体で見れば、何の特殊能力も持たず生まれてきたルアの方が圧倒的マジョリティーでしょう。ですがそれは血縁関係という狭い世界の中で当て嵌めれば、異常になります。力を至上としていた王様はまるで掌を返したようにルアへの愛情を失くし、特別な力を持っていたルカにだけ育児に力を入れることにしルアへは他の兄弟達に比べても圧倒的に少ない人数の使用人でよいと執事に言いつけたのです。双子が生まれて、三日後の事でした。




 さて、執事は困りました。使用人として働く以上滅私奉公が基本でありますが、使用人達にも地位の他に、職場での立場なるものがございます。回りくどい言い方をせずにズバッと言ってしまえば、皆王様からあからさまに愛情を注がれていない、次期国王候補にはまずなりえないルアの育児などしたくなかったのです。


 しかも双子だからでしょうか。妹であるルカから離されたルアはその小さな体の何処にそんなエネルギーがあるのかと思う程泣き続けておりました。不思議な力を持たぬ代わりに悪魔にでも憑かれたのではと疑う程昼夜を問わず泣き続けるので、執事を始めとする使用人達は皆寝不足に拍車を掛けていました。

 ナニーの母乳もミルクも飲まず泣き続けるルアの命を危ぶんだ執事は、使用人一人一人に彼を抱かせあやさせる事でルアを泣き止ませようとしました。が、一向にその慟哭にも似た泣き声が止む事はありませんでした。



 けれどユウセイの番になった時、奇跡が起きました。泣き続けている事に若干の躊躇いを見せながらも慣れた手つきでルアを胸に抱いた時、ピタリと泣き声が止んだのです。それどころか戸惑いながらも少し揺らしてみると、まだ涙が残った真っ赤な顔のまま、きゃっきゃと天使の笑顔で笑い始めたではありませんか。




「……決まりだな。ユウセイ」


 ルアはユウセイを選んだ。それは見間違える事無い真実。顔が見えなくなるとぐずり出すルアの為顔が見える様に立ちながらナニーの母乳と用意されていたミルクを飲ませるユウセイに、執事は配属の命を下しました。半人前以下の見習い使用人だった彼が、ルア専属の執事に大抜擢された瞬間でした。







 ユウセイはまだ片手にも満たない年の頃から故郷で自分より幼い子供達の面倒を見ていました。でもそれは当然、自分より年上の子がいたり大人がいたり……たった一人であれもこれも全部やっていた訳ではありません。

 まだ母乳とミルクが必要な頃は、王様によって少ない人数しか割り当てられない為執事が一人でも任せられる経験豊富なナニーを配属してくれましたが、ルアの乳離れが済んだ頃次の子供が生まれてしまいそのナニーも担当を外されてしまいました。ルアにユウセイ以外の使用人がまったくいなかった訳ではありません。それでもルアの召使いに選ばれた彼等はやる気を持たず、ルアの育児については実質ユウセイ一人で担っていたも同然でした。



 一日中ほぼつきっきりで赤子の育児などしたこと無い彼にとって、戸惑いと迷いと驚きの毎日があっという間に駆けていった事は間違いありません。担当を外れる際ナニーが残してくれた育児ノートを参考にルアの離乳食を作り、規則正しい生活を守らせ、行儀振る舞いを教え、躾けて行きました。ただ喋りについては元々ユウセイ自身あまり喋らない子供だったので難航しましたが、ルアはとても喋る子だった様ではいはいが出来る様になった頃には一日にたくさんの言葉を話すようになりました。


 眠っている時以外ユウセイがいないと泣いてしまうので、首が据わるまではコンパクトなベビーカーを走らせ続け、首が据わったらユウセイの胸にずっと丈夫な抱っこ紐でくくり付けて世話をしていました。他の王子や王女に付いていた使用人達がしていたのか……なんてのは、ほぼ一人でこなしていたユウセイには参考になりません。幸い執事がとても話の分かる方だったので、ルアのおしっこや涎ですぐに汚れてしまうユウセイのスペア服はすぐに支給してくれました。



 そんなユウセイの努力が実ったのでしょうか。相変わらずユウセイがいないとぐずるものの、ルアはとても人懐っこい子供に育ちました。ユウセイ以外の、ベッドメイクやベビーバスの準備をしていた使用人達にもにこにこ、きゃっきゃと笑うようになり、少しずつ少しずつ、他の使用人達にルアに仕えるのも悪くないという気持ちが芽生えようとしていた、




 その矢先のことでした。




「……今、なんと……」
「信じられない気持ちは分かる。だが、これは決定事項だ……国王様のな」



 明日は、ルアの三歳のお誕生日でした。その二週間前に執事に呼び出されたユウセイは、我が耳を疑うような衝撃の決定を聞かされました。



「今年、国王様からルア様に贈られるバースデープレゼントはお城。この中心地から離れた郊外に、別荘として使われていた小さな古城がある。……そこへ、最低限必要な使用人と一緒に住むようにとのことだ」

 それはつまり、その古城に追いやることで国王がルアを完全に厄介払いしようとしていると、言っているも同然のお達しでした。誕生日を迎えてもルア様はまだ三歳で、一人立ちさせるには早すぎると申し立てましたが……それは執事も既に申し上げていたのでしょう。聞き届けられなかった、すまないとユウセイに謝りました。



「他の使用人達にも、同じ事を伝えておいた。……皆、この城を離れたくないと言っていたよ」
「……ルア様と一緒には、行けないと言ったのですね」
「ユウセイ。君はどうだい」
「……当たり前の事を聞かないでください。俺はルア様がお生まれになった時からルア様専属の執事です。それ以外の誰にも、仕える気などありません」
「そうか……なら後は、君以外の使用人達の確保だな」

「必要ありません。ルア様は、俺がお守りいたします」
「そう一人ですべて背負い込むな。どうやっても君に大きな負担が掛かる事には変わりない。昔何度か過労で倒れたのを忘れたのか?」

「今はあの時よりずっと体力もついております。使用人も、古城の近くにある城下町の者を雇えばいい」
「……」

「ルア様を王位継承権の有無だけでしか見ない者達に、俺は一緒に来てくれなどけして頼みません」
「……なら、逆に言えばルア様をルア様として見る者がいれば、連れて行けるかな?」
「……ルア様が、懐けば」


「分かった。ならその条件で私も声を掛けてみよう。そろそろメイド長が新人メイド達の配属先を決める頃だからな。そちらにもそれとなく頼んでみるよ」
「俺にも選ばせてください」
「勿論だ。だが今から探すのだからすぐに呼ぶことは無い。それに……君はまずルア様に、この事実をお伝えするという重大な使命があるだろう」
「……はい」



 では、失礼します。執事の部屋を出たユウセイは、まっすぐにルアの部屋へと向かいました。ルアは丁度お昼寝から目覚めた所で、時計の針は三時を過ぎていました。




「王子。おはようございます」
「ふぁ……ゆーせぇ?」


 寝ぼけ眼でごしごしと目を擦っているルアに、ユウセイは優しく声を掛けます。……他にも王子達が住んでいるこの城で『王子』と呼ぶのは、きっとおかしな事なのでしょう。けれどユウセイはルア専属の執事。だからユウセイにとって、『王子』はルアだけなのです。そしてその事について何か言う者もおりませんでした。



「すみません。少し国王様の執事と話しておりまして……今、おやつの準備をいたしますね」
「……ゆーせぇ。どうしたの?」
「? どうも、いたしませんが」


「うそ、やだ。ゆーせぇ、おかおこわい。やなこと、いわれたの?」
「……!」

 上手く隠したつもりだったのに、どうしてルアはすぐに彼の嘘を見破れるのでしょう。まっすぐでピュアな目に映る、ユウセイの顔が強張りました。



「ゆうせい? やなこといわれたの? ひどい!」
「……王子。大事なお話があります」
「? だいじ?」
「はい。王子には、嫌な話になるでしょう。でも、大事なお話ですから、聞いていただけますか」

「きく?」
「はい」
「きく」
「ありがとうございます」



 そしてユウセイは、ルアに大事な話をしました。三歳の誕生日に、この城を出て小さな城に住む事。王様ともお妃様とも、ルカとも離れ離れになって暮らす事。


 まだ幼いルアに、この話がどこまで通じるかは分かりません。けれどユウセイは、一生懸命分かりやすい言葉を選んで話しました。……自分以外の使用人達も一緒には行かない事も、話しました。




「……」
「王子……っ」

 すべての話を聞き終えた後、ルアはぼんやりとした顔で首を傾げます。やはりまだ、幼すぎる。親元を離してどうにか出来る年齢じゃない。やっぱり自分で抗議をしに行った方が……そう、ユウセイが立ち上がって国王の元へと行こうとした、その時。ルアに裾を掴まれました。



「ゆーちぇーは?」
「え?」

「ゆーせぇーは、いっしょ?」
「! 勿論です」

「……えへへ」
「王子?」


 ぎゅ、と服を掴んで、不安気な顔でそう聞いたと思ったら……今度は、ぱっと花が咲いたように嬉しそうな笑顔を浮かべました。




「はい! るあ、いきます!」
「!? 王子、何を仰って」
「え?」


 泣き喚かれるのを覚悟していました。泣き喚いて、当然だと思っていました。


 なのにルアが満面の笑顔で、あっさり頷くものだから……ユウセイは思わず、問い詰めるように聞いてしまいました。




「王子。別のお城に住むということは、ルカ様にすぐお会いになれなくなるという事です。逢いたくても、会えなくなるという事ですよ!」
「うん」
「……それでも、大丈夫だと仰るのですか……?」


 肩を掴んで聞くユウセイが少し怖くて……怒られていると思ったルアが涙を滲ませながら、だって、と理由を話し始めます。



「だって、ルカにあえないの、いつものことだもん」
「……っ」
「それに、ゆーせぇは、いっしょだし」
「……え?」
「え?」


 そこで疑問符を浮かべてしまった事で、ルアは弾かれたように顔を上げました。



「ゆーせーは? ゆーせぇは、いっしょだよね! いっしょだよね!?」
「は、はい。どこまでもご一緒します」
「……よかったぁ」




 おれね。ゆーせぇといっしょなら、いいよ。ゆーせーがいっしょじゃないのは、ぜったいにいや。

 ユウセイは一緒にいてくれる。まだ三歳にならない幼い王子は、そのたった一つだけの理由で、生まれ育ったこの城から離れる事を受け入れたのです。



 その事に気づいたユウセイは、たまらずルアをぎゅううっと抱きしめました。




「? ゆーせー?」
「っ……一緒です。どこまでも、ずっと、一緒ですから。絶対に、貴方のお側を、離れたりなんてしませんから!」


 ――それは、健気な幼子に抱く同情心とは、比較にならないほど大きな想い。いつか少しだけ恋という色に変わる時がやってくるのであろう、絶対の忠誠。



「? えへへ、ゆうせいと、いっしょー」

 自分がどれだけユウセイの心を鷲掴みにする事を言ったのかなんて気づきもしないまま、ルアもまた無邪気に笑いながら、ユウセイの首にしがみつくのでありました。


5D'sNOVELTOP   NEXT→
inserted by FC2 system