【お気に召しましたか】





 空間へと侵入を果たした赤き竜は何も言葉を紡ぐ事なく光の玉を出現させ、自らの端末である二体の竜が何かを言う前にそれぞれ玉の中へと包み込み、静かに一見した後パッと消した。

 おそらく現世にあるカードの中に強制的に還したのだろう。そしてその余韻に浸る事もなく、体ごと星影の方へと向き直る。赤き竜もまた星影と、二人きりで話したいと思っていたようだから。



「久しぶりですね。最後に顔を合わせたのは、五千年前でしたっけ?」

 龍亞をしっかりと抱いたまま、星影は赤き竜の前へと一歩踏み出す。祭壇の頂上に立つ星影に、赤き竜もまた静かに身を屈ませ、星影の前にその巨大な黄色の双眸を合わせる。何か言っているのだろうか。周囲に音は聞こえずとも、ああ、と星影は皮肉を込めて笑みを浮かべる。



「元の姿に戻ったら、この姿でいるよりも遥かに空腹が酷くなるのですよ。使える力の制限は特にありませんからね。少しでもエネルギー消費を抑えるのは当然と言うものです。え? あぁ通りにくかったですか? んふふ、それはそれは。いいえ私達の力はいつだって平等。貴方の力よりも強い結界等張れませんよ。ただちょっと、貴方にとって不得意な力で張っただけです。これ以上他の端末までやってきて騒々しい時間を過ごしたくなかったのでね。貴方だけが通れるレベルの結界を張ったまでです。……私は貴方と違って誠意もあるのでね。一応、貴方本人がやって来るのを律義に待ってあげたんですよ」


 しゅるしゅる、と龍亞を抱く力を強くし、それで? と星影は赤き竜を見据える。否、睨んでいるといってもいい。赤き竜以外の者なら漏れなく死を覚悟、いや享受するであろう程の冷たい眼差しをもって、見据える星影が口を開く。



「エンシェント・フェアリーから聞きましたよ。願いを三つ叶えてやったこの子の魂を、手放せとね。……一体、何のつもりですか? ライフ・ストリーム……いえ。今はパワー・ツールですか。彼が傍にいるとは言え、この子は端末じゃない。現代の星竜王という訳でもない。この子がいなくなればシグナーに悪影響を齎す? ならばとっとと今の端末達から別の者へと痣を移せばいい。この子を私が頂いてはいけない理由にはなりえない」


 星影の胸から、いい匂いがずっと立ち込めている。龍亞の魂が、熟成のピークを迎えようとしているのだろう。ちろり、と、本能的に舌なめずりをする星影の瞳が、瞳孔がすっと細くなる。あぁ赤き竜がいなければ、今すぐにでも食べられるのに。こんなにも美味しそうな魂を前にして話を続けなければいけないなんて、何て馬鹿らしい時間を強要してくるのだろう。知らず知らず、星影の言葉の棘が鋭く尖っていく。



「私は今まで貴方のやる事には口を出しませんでしたし、端末にも手を出さずに来ました。なのに折角仕事を終えてありついた私の食事を、いきなり横から掻っ攫おうとする。そちらにノーリスクで反故にしろなどと、どの口が申し上げているのやら。私が貴方の付属品だと思っているのなら、勘違いも甚だしい。分かったらとっとと帰って端末達の記憶補正や改竄をすることですね……え? は? この子には最後の希望になってもらう? だからこの子を食べるな? 訳が分からない。一体貴方は何を言って…………!」




 龍亞を食べる事で頭がいっぱいになっていた星影は、赤き竜のその言葉の意味に気付き、瞠目する。そして片手は龍亞の体を支えたまま、もう片方の手で、そっと胸元からあのペンダントを取り出し、赤き竜を見やる。




「最後の希望…………だから、この子に力を封印した端末の竜を渡したと言うのですか。シグナーは五人であるという伝承を壊しても已む無しと思えるような、敵なのですか? ただ食われたくない為に勢いで言った言葉なら、今此処で私の翼を片方落とします。貴方と翼の端末は地を転げ回るような激痛を伴うでしょうが、この子の魂を食べれば私は元通り。私が元通りになれば貴方も元に戻るのですからね。
……は? 何故そのような事を言うのか、ですって? 当然でしょう私が知らないとでもお思いですか? もう終わっているでしょう。ダークシグナーならぬ相手も地縛神や冥界の王との戦いも、もう終えているでしょう? だから私は空腹になって眠たくなり始めて……なのに貴方がこの子に最後の希望になってもらうだなんだと言っているから、私の強靭なる理性の糸がどんどんか細く切れ始めているのですよ」



 ふぁふ、と星影はそこで、ずっと我慢し続けていた生あくびを一つ零した。星影の言葉は嘘じゃない。彼は、赤き竜が地縛神達との戦いを終えると、自動的に次の五千年先に向けて眠りにつく為の準備に入る。そして魂を一つ食した星影が眠りにつけば、多少のタイムラグは生じるが赤き竜もまた眠りにつく。つまりそこで赤き竜の痣は消滅し、現シグナーである者達はその宿命から解放される。の、だが。



 もう戦いは終わったというのに、赤き竜は星影が眠りにつくのを拒み、阻止する。まるでまだ、戦いは続いているとでも言うように……いや、続いているのだ。星影にとっても、予期しない形の戦いが生まれてしまった。




「一体誰なんですか折角美味しい魂を食して眠りにつこうとしているのを邪魔する空気の読めない愚者は…………は?」


 流れるように紡がれ続けていた星影の言葉が、ぴたっと途切れた。ぽかん、と口を開けて赤き竜をただ見つめる様は、今までの彼とは結びつかない無防備な姿。それだけ、たった今伝えられた情報が到底信じられる内容ではなかったからだ。




「星の民? え、いや何を言っているのですか。星の民はこちらの味方の筈……は? イリアステル? あぁ星の民達の自称がどうかし…………は? え? イリアステルとシグナーが敵対? イリアステルがこの星の未来の為にこの時代を消そうとして、それを阻止せんが為にシグナーが対立した? この時代に合わせて端末の竜をシンクロモンスターカードにしたら、相手がシンクロモンスターを吸収する兵器を出してきたから……だ……だから、まだ、私に眠られては困る、と? まだシグナーに力を貸さないといけないから、起きててくれとそう言っているのですか? …………、……あ、眩暈が」


 くらっと、あまりのとんでも展開に空腹と睡眠欲も上乗せして眩暈を起こした星影を、赤き竜がそっと出した指で支えてやる。その指に腕を乗せて何とか体を支えた星影は、まるで百年に一人いるかいないかという善人の魂を食べてしまったような、血色の悪すぎる顔を浮かべる。人間で例えるなら、百人中九十九人はその不味さにぶっ倒れるであろうと言えるような味の青汁を、ジョッキ一杯飲まされたような顔である。



「そ……その戦いは、放置したら、五千年後人類が滅亡しているような問題ですか? 否、というより、別にその戦いがなくとも人類が残っているか否かなんて、博打のようなものですし……別にもう放置してしまってもよろしい問題なのでは? 私から言わせればどちらもどちらですよ。どちらも平等に、くだらない。別に人類が滅んでしまえば、それはそれで竜の星に戻れば問題ないことでしょう?」


 星影がそう言うのは、冷酷なのではない。平等なのだ。人間が足元で動いている蟻を、昨日も見た蟻かどうか分からないように。彼が不平等に接する人間は自らが食すと決めた魂の持ち主のみで。それ以外の人間は、ハッキリ言って、どうでも良い存在なのだ。



 それともう一つ。もう彼の空腹は、限界だった。今までは三千年前に食した男の魂が残していた栄養で何とかもたせていたが、それもさっき、龍亞の魂が急速に熟成し始めたことで、空っぽに尽きた。もう今すぐにでも龍亞の魂を食べて、とっとと心地良い眠りについてしまいたいと切に切に思っていて、それで頭がいっぱいだった。だから星影は『もう話は終わり』という意味をたっぷり込めて、赤き竜に対して疲れきった声で言い切った。






「……すみません。後の話はまずこの子の魂を食してから聞きます故」
『……』

「は? 動くな、て……!」





 星影が体を預けていた赤き竜の指が光り、それに呼応するように星影の体も青緑色に輝く。赤き光が青緑の光を包み込むようにして、周囲に何も見えなくなるようなハレーションが発生する。強烈な閃光は一瞬で消え、すぐにまた周囲は夜に包まれる。が、星影は先程とは明らかに違う体の状態に、声も出ない様子だった。睡眠欲が引っ込み、あれだけ今すぐ食べたいと思っていた龍亞の魂に対する食指が大幅に働かなくなっていた。赤き竜に注がれた莫大なるエネルギーによって、彼は魂を食わずともまだ動き回れる体へとされた。否、戻されたのだ。



「……これは……」

 頭の中がクリアになり、動かすのも億劫になっていた指が、難なく動かせる。その手を握って開いて握って開いて……ふぅ、と凭れていた体をしっかり立たせ、考えを纏め終えた星影が赤き竜を見やる。



「……貴方が人間の為に、ここまでした事なんてありませんでしたね」
『……』
「……、……私も、馬鹿ではありません。貴方の覚悟も、言っていた事もすべて正直に受け止めましょう。まだ戦いは終わっておらず、シグナーには貴方の力と、この子が必要。貴方の想い、確かに受け取りました」


 星影は、龍亞を見やる。眉間に皺を寄せ未だ涙を零し続ける龍亞を、美味しそうだと思う反面、その涙を止めてあげたいと思った。……ふふ、と、感慨深げに笑みを零す。まさか自分が、すべて願いを叶え終えた人間(しょくじ)に対して、このような情を抱くようになるとは、と。





「よかったですねぇ。貴方がいなくなったら、とっても困るんですって。貴方はまだ、残るべき魂だと言ってくれてますよ」


 赤き竜と違い、星影は現世において他者にも目視出来る実体を持たない。だからこうしてさらさらの髪を優しく撫でる事等……撫でる気など、起こりはしなかったというのに。美味しそうな食事に対して以外で柔らかい笑みを浮かべるのも、星影にとっては初めての体験だった。





「――――いいでしょう。私も、食すならもっと欲望に溢れ返った魂の方が、好ましいと思っていたところです」

 さらり、と龍亞の長いもみあげを掬い上げると、指一本だけ具象化した爪を鋭く尖らせ、さり、と剃刀のようにして毛先少々を削ぐ。龍亞の魂の一部であるその短い毛を、口に含み、ゆっくりと味わうようにして呑み込む。塩味のよく効いた苦みがたっぷりと掛けられた、喉の奥から酸味とえぐみがこみ上げて来て最後にほんの少しだけ甘い、美味なる魂。だけど精々毛先三センチにも満たない魂の一部では、到底眠りに至るまでの栄養にはなりえない。



「私がこの子の願いを三つ叶えた事に代わりはない。よって、食べずに返す等という屈辱的なアンフェアは受け入れられない。だから今、私は欠片ではありますがこの子の魂を頂きました。残りの部分は、貴方が分けてくれた莫大なエネルギーでチャラにして差し上げますよ。貴方もそれで、充分な見返りとなるでしょう?」


 絡め編んでいた翼を解き、尻尾と片腕でしっかり龍亞を抱えた星影は、胸元で輝いていたペンダントを……そのトップである石を摘む。



「この子が最後の希望と言うのですから……これはこの子に持っていて頂きましょう。五千年前貴方が私に預けた、貴方への供物として捧げられる、心の臓の持ち主へ贈られる大切な目印ですからね。魂に直接埋め込んでおけば、敵対したという星の民にも知られる事はないでしょう」



 赤き竜が静かに頷いたのを見て、銀の紐を消失させ本体だけとなったその石を、つぷっ……と龍亞の魂の、心臓に当たる部分に沈み込ませていく。


「ん……ぁ」

 魂に手を突っ込まれ異物を入れられた事で、苦しそうに龍亞の眉間に皺が寄る。魂を変質させないようすぐに手を抜き取った星影の腕の中で、龍亞の魂が青緑、そして赤い光を灯して元に戻った。



「さ。これで、この子は間接的にですが貴方の端末となった。よって私は、この子の魂を食す事は無くなった。未来へ投げられた賽がどのような結果を出すのか、陰ながら見学させていただくとしましょう。ただ、もし貴方が考えを改めこの子以外の者を最後の希望とするのなら、その時は石を取り出したこの子の魂をすべて頂きにあがりますよ。その場合は是非とも、今よりも上質な味になっていて欲しいものですねぇ」
『……』

「んふふ。私達二人を敵対させるかもしれないなんて、この子はとても罪深き魂の持ち主です。二度とお会い出来ない事を願って……あぁそうそう。その事で一つやらなくてはいけない事を思い出しました。この子が肉体に戻って、そうですね一晩経ったら、ネオ童実野シティの者達の記憶を弄くっておきますよ。なんたって頭の交通事故ニュースはシティ全域に流れてしまいましたし、仕返しも兼ねて、頭達の前であんな演出をしてしまったのでね。これで無事返して記憶をそのままにしておく等恥ずかしすぎて顔から火が出そうですよ。よって、頭は事故に遭わなかったから入院しなかった。皆病気に罹ったが無事に治した。そしてこの子の入院理由は……んふふ。まぁ弄る前まで、じっくり考えましょうか」




 今はまだ頼りないかもしれないが……来るべき時が来れば、彼は赤き竜がシグナー達に贈る、最後の希望として光輝くだろう。そうなる未来を、見てみたいものだ。




「しかし、五千年の流れというのも馬鹿には出来ない物ですね。まさか貴方が、ここまで端末に肩入れするようになるとは。それほど今回の端末、シグナーはお気に入りになったという事ですか……いや」



 巻きつけていた尻尾を離して、龍亞の体をお姫様抱っこで持つ星影に、赤き竜が光の玉を一つ出す。その玉の中にゆっくりと龍亞の体を降ろしながら、星影はんふふ、とまた笑みを零す。




「気に入ったのは……端末達より、この子、ですかね」


 貴方もしや、私がすぐにこの子を食べないように、【わざと悪い偶然を重ねたり】なんて、してませんよねぇ?





 ――星影の問いに答える事無く、赤き竜は龍亞を連れて現世へと帰っていく。それを見送る星影は、くすくすと零れる笑みを抑える事無く。赤き竜が帰る際必要以上に壊していった大穴を見て、また、んふふふと笑みを浮かべ続ける。




「さようなら。ultimo-esperanza。……いいえ。龍亞」


 貴方もまた、有意義な人生を送れますように――――パチン、と指を鳴らすことで大穴を無かった事にした星影は、さてと、とまたティーセットと大量の菓子を取り出し、後始末に向けた理由を考え始めるのであった。



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