【そして、さようなら】






 どこまでも続く浮遊と落下の感覚。すべての音が置き去りにされるような速度で落ち続けていたその時、右腕の痣が強く光った。その眩さに目を閉じた時、柔らかく温かな何かに包まれ……



「っあ! ……、……?」

 目が、覚めた。見開いた目はいきなり飛び込んできた白い光に、また閉じられて、恐る恐る瞼を開いて調整する。明るい光の、白い天井。点滴のパック、そして、



「遊星? 遊星!!」
「気が付いたのね!!」
「ふん、やっと目覚めたか」
「このやろぉおお、心配懸けやがってぇえええ……」
「うぅ、良かった。本当によかったぁあ」


 天井からの光を遮るようにして覗き込んできた、仲間達の、ほっとした顔、泣いている顔、喜んでいる顔。……そこで漸く、遊星は元の世界へと戻ってこれた事を理解した。そして何故、自分があの闇の中で彷徨っていたのかも思い出し……体の、異変に気付く。




「……痛く、ない?」

 ベッドに横たわっている自分の体は、どこも痛みを訴えてはいなかった。それは今、この状態においては異常な事だった。だって自分は、さっき子供を庇って車に撥ねられたのに……もしや麻酔が効いていて、それで痛くないのだろうか。そう考えていた遊星だったが、その推測はジャックが発した言葉によって否定される。



「あまりすぐに起き上がらん方がいい。いくら傷をすべて治されたとはいえ、失った血液は戻っておらんようだからな」
「っ? 治された?」
「ああ! お前が手術している時突然赤き竜が現れてよ、お前の体を綺麗に元通りにしたんだ!!」
「うん。手術をしていたお医者さん達も驚いていたよ。生死に関わる大怪我で、もう二度とライディングデュエルは出来ないだろうって言ってた体の、あらゆる臓器も骨も元通り、いや前よりも丈夫に蘇生されたってさ!!」

「……赤き、竜が?」


 仲間達の話を聞く中で、遊星の胸に浮かんだのは、違和感だった。否違う。そう、『違う』という、言葉だった。でも一体何が違うのか分からなくて口を閉ざしていると、その様子を見た龍可が、あ、と声を上げて、ベッドの脇にあったナースコールを押す。どうやら遊星が目を覚ましたら医者を呼ばなくてはいけないのを、すっかり忘れていたらしい。



「ほら皆。遊星も目覚めたし、今日はもう帰りましょう? お医者さんの診察を受けなきゃならないもの」
「あっとそうだったな。起きたら呼べって言われてたの、すっかり忘れてたぜ」
「ほら、アキさん。遊星はもう大丈夫だから、今は休ませてあげましょう? ね?」
「っ、ん、……そう、ね。そうね。無事、だったものね」
「アキ……心配させてすまない」
「っ、本当よ。ほんとに、わたし……わたし……っ」
「おいおい遊星。アキだけじゃねーんだぜ? 俺等もいーっぱい心配したんだからな!」
「……ああ、すまない、皆」
「ふん。俺はそこまで心配しておらんかったぞ」
「よっく言うぜ。手術室前で物凄ぇ喚きまくってただろ」
「ふ、ふん! そのような真似した覚えはない!! こいつがそう簡単にくたばる男じゃない事位俺が一番良く知っている!! 這いつくばってでも死の淵から立ち上がってくる不屈の精神の持ち主だと知っているのに、何を心配する必要があるかッ!!」
「……死の、淵から……?」
「あーあー分かった分かった。いいからお前は静かにしとけって。手術あがりの体に響くだろ?」



 クロウがジャックを宥めて……言葉のチョイスにより、効果の程は不明だが……宥めているが、遊星はその様子を見る事はしなかった。……先程浮かんだ『違う』という言葉が、ジャックの言葉によってより膨らんだからだ。


 違う。違う。そうだ。俺は、一人であそこから戻ってきたんじゃない。赤き竜が体を元通りにしたと言うが、自分はまったく違う人物に同じ事を言われたのだ。自分の体を蘇生しておいたと。前よりも丈夫な体に作り直しておいたと。そう言って、自分をあそこから連れ戻した、あの男……!



「っ! ぐっ」
「!! ちょ、遊星、いきなり起きちゃ駄目よ!!」
「そうだぜ! お前体は元通りっつっても、貧血には違いねーんだから」

 慌てて起き上がろうとした遊星の体がぐらりと傾き、それに龍可が慌てて静止の声を掛けクロウとブルーノが支えてくれる。だが遊星は、それ所ではなかった。思い出したのだ。あの時あの世界で、あの男が……ノーガルドが言っていた、あの言葉を。




『さぁ帰りますよ不動遊星。我が主の願いですからね。しっかり連れ戻しますよ』
「おい遊星? 急にどうしたよ」
「大丈夫? ほら、また寝ておこう?」

「……クロウ、ブルーノ」



『有意義な人生をお過ごしください。貴方を救ってくれた主の事を、二度と忘れないようにしてね』
「……遊星?」
「遊星、どうしたの?」

「……アキ、龍可」



『目覚めた時、ゆっくりと仲間達の顔を見てあげる事です。そうすればすぐにでも分かりますよ』
「んん?」
「お、遊星! よかった無事だったんだな!!」
「本当。あれだけの怪我を負っていたはずなのに、信じられないわ」

「……ジャック……牛尾、御影さん……」




 そこで、遊星は気付いた。やっと、気付いた。何故今まで気にならなかったのかが分からない位、遅すぎる、気付きだった。うろうろと、血が充分に巡っていない頭で、部屋の隅々にまで視線を彷徨わせる。いない。いない。何処、何処? 何処にいる……?



「……龍亞、は?」


 そして遊星のその言葉を引き金にしたように、皆が、え? と一斉に訝しげな顔をする。まるで今やっと思い出したかのように、遊星同様部屋の中を見回すが……




「何言ってるのよ遊星。龍亞ならそこに……あれ?」
「え、あれ、そういえば」
「お、おかしいな。思い出せない。ジャックと一緒に病院に来て、僕が遊星の容態を説明して」
「そ、そうだ。その時は確かに隣にいて、その後、トイレに行くと言って……」
「その後、俺が龍可を連れて来た時は戻ってきて……ん? あれ?」
「お、おかしいな。おかしい、わね……確かにいたって、思ってたんだけど」


 いない。部屋の中の何処にも、龍亞がいない。いやそれだけじゃなく、彼等の記憶の中にもいない。ジャックと共に病院に来て、ブルーノから容態を聞いて、トイレに行くと言って去って……その後、帰ってきていない事に誰も気付かなかった。ジャックやブルーノ達だけじゃなくて、後から来た筈のクロウや龍可までもが、その事に気付けなかった。いないのに、いると思い込んでいた。そしてそれに気付いた遊星の頭の中に、あの男の……ノーガルドの言葉が、嘲笑うかのようにリフレインする。




『目覚めた時、ゆっくりと仲間達の顔を見てあげる事です』

 そうすればすぐにでも分かりますよ。――――ソノ場ニ居ナイ仲間コソ、ワタクシノ 主 デスヨ。




 モウ、オ分カリデショウ?





「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 気付いた。気付いた。気付いてしまった。その事実に気付いた遊星は、今すぐにもベッドを降りて駆け出そうとした。クロウとブルーノと、牛尾と、牛尾達と共に入って来ていた医者が、必死に遊星の事を抑えようとした。



「ちょ、おい遊星落ち着け!! まだ点滴繋がってんだ!!」
「どうしたの遊星、落ち着いて!! 何があったの!?」
「離せ、離してくれっ! 探さなければ、龍亞を、探さないとっ」
「! 遊星、龍亞にはちゃんと、俺から説明しておいた。だから慌てて謝りにいく事はないのだ」
「ジャック、違う……それもあるが、違う、違うんだっ」
「何?」
「どうしたのよ遊星。アトラス様の話で聞いたけど、えっと、龍亞と喧嘩? してたのよね? なら事実を知って、気まずくていないって事もありえるじゃない」
「それならいい……だが、もしそうじゃなかったら……!」
「? どういう事遊星。探すの手伝うから、ちゃんと話して」


 心配そうに遊星の顔を覗き込む龍可の……双子の兄妹として、龍亞ととてもよく似ているその顔を見て……遊星は動くのを止め、震える唇を何とか動かし、言葉を紡ぐ。



「奴が、言ったんだ。目覚めた時いない仲間が……自分の主だと」
「は? え、奴って? 主って何のこと?」
「……俺は、目覚めるまでずっと、闇の中にいた……生と死の境を彷徨い、亡者に死の世界へと引きずり込まれそうになっていた俺を、助けてくれて、こちらの世界へと、連れ戻してくれた奴がいた」
「連れ戻しただと? ということはお前が再び目を覚ましたのは、そいつのおかげという事か」

「ああ……そいつは、俺を助けるのは主の願いの為だと言っていた……そして、言ったんだ。俺が奴の主であるその人物と会う事は、もう二度と出来ないと」
「……え?」
「その主が誰かは言わなかった。だがこう続けたんだ。……目覚めた時にいない仲間こそ、自分の主だと。つまり、俺を助けるように願った、奴の主は……!」



 遊星の切羽詰まった言葉に、病室内が水を打ったように静寂に包まれる。

 そしてまるで、彼がその結論に思い至るのを待っていたかのように、『彼』は、現れた。



「……! 龍亞!!」
「え?」


 病室の隅。今までいなかった筈なのに、突然現れた『龍亞』。龍亞がいたという事に、誰かが、続きの言葉を紡ごうとした。何だ居たじゃないか。何か言えよびびっただろ。よかったね遊星。もう心配させないでよ。……良かった。その、安堵と拍子抜けしたという感情から紡がれる筈だった言葉が、口から零れるより、誰かが彼の元に、駆け寄るよりも早く。




 龍亞の唇が、ゆっくりと開き、動く。紡がれたその言葉は、耳からではなく、脳に直接響いた。




 さ よ な ら


――――そして、彼の体は光の粒子と化して、溶けるように消えた。消え、失せた。




 ゴメンナサイ、ダソウデスヨ。モウ主ガ 貴方ト  会エル事ハ 無イ  ノデネ。





「ぁ……ぁ、あ」


 病室に、いや、病院内すべてに届いたのではないかと思える程の遊星の絶叫を、哀惜溢れかえる永別を嘆くような、送別の唄とするようにして。















 その後、入院中で病院を出る事の出来ない遊星以外の仲間達と、牛尾達セキュリティによって、ネオ童実野シティの大捜索が行われた。



 そして捜索を始めてから三日後、龍亞は発見された。旧サテライト地区の中に存在する森の中にて発見された彼は、美しいシロツメクサと四つ葉のクローバーのステンドグラスの蓋をしたガラスの棺の中で、静かに眠っていた。

 捜索中のセキュリティによって発見された龍亞の体は、そのまま病院へと搬送された。彼はまだ、“生きていた”。死者ではけしてあり得ない健康的な桃色の頬と、注意して聞かねば聞こえないほど小さな息遣いが、彼の命がまだここに留まっているということを証明していた。



 死んでいる訳ではない。生きて、ただ眠っているだけだと、その時は皆龍亞の無事を心から喜んでいた。だがそれから二日、五日と経過する中で、その喜びはすぐに色褪せる事となる。

 彼はただ眠っているだけ。文字通り、それだけ。刺激を与えても、たくさんの者が彼に呼びかけても、反応を返さない。かつての、精霊界へと魂を寄せていた時の龍可と、同じ。まだ死んでいないというだけで、彼の意識はけっして浮上してくる事はない。



 誰の声も届かない。誰の声も響かない。彼はもうその瞳で世界を見る事も、誰かに微笑む事もない。白雪姫を連想する美しいガラスの棺から出され、ベッドに移りたくさんの器具を付けられた状態で、時を止める茨に絡め捕られた眠り姫のように。



 龍亞はただただ美しい寝顔のまま、静かに眠り続けるのであった。




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