始まりは、一通の招待状からだった。



「王子。お手紙が届いております」
「手紙?」

 昼下がりの庭にて本日のおやつである焼き立てのフォンダンショコラとレアチーズムースを食べ終えメイドに紅茶を淹れてもらっていたルアが、執事であるユウセイに不思議そうに聞き返した。城下町でのイベント事は城に仕えているコック達が直接チラシを持ってきてくれるので、王子ではあるもののまだ幼い彼に手紙が来る事は滅多に無いからだ。


「手紙って、あ! もしかしてルカから?」
「いいえ。テンジョウイン伯爵……? ブリザード・プリンス様からでございます」
「プリンス?」
「はい。送り主としてそう明記されております」
「本名なのかな?」
「テンジョウイン伯爵は一風変わった感性をお持ちの方で、外交を始め手紙などを送る際も必ずその様に明記するとお聞きした事があります」
「ふーん。面白い人だね。それでその人がオレに何の用事なんだろ?」
「では、失礼して、開けさせていただきます」

 ルアが頷き、ユウセイが封を開き中に入っていた手紙と一枚のカードを取り出し、手紙の内容を読み始める。普通なら執事が主宛に届いた手紙に目を通すなどあってはならないマナー違反だが、ルアには読めない字が多い事からユウセイが代わりに読んであげるのが初めて仕えた時からの暗黙のルールとなっている。

 季節の挨拶から始まり、この度城下町から少し離れた場所に別荘を建てたという知らせ。そして……そこまで読んだユウセイの言葉が不自然に途切れる。


「ユウセイ? どうしたの?」
「……皆様との親善を深める為、つきましては下記の日程により、別荘の新築記念として舞踏会を開催いたしますと共に、招待状を贈らせていただきます」
「ぶとうかい? え、剣闘士が戦ってるのを観戦するの? わぁ凄い面白そう!」
「いえ、王子、その」
「ルア様。その武闘ではなく、ダンスパーティーの舞踏会かと思われます」

 キラキラした目で間違えるルアに訂正が出来ないユウセイに代わり、ルアの後ろで控えていたメイドが優しく訂正する。


「ダンスパーティー? ダンスって、あのダンス?」
「はい。三日後の午後七時から始まるそうですが……いかがいたしますか」
「行ってみたい!」

 オレ、舞踏会なんて初めてだし! 行く行く〜! ととてもいい返事でYESの返事をしたルアに、畏まりましたとユウセイがメイドに指示をする。仕立て屋と靴屋に帽子屋、踊りの先生への連絡、舞踏会での代表的な曲の用意。


「それと……あんたは、踊れるか」
「は……? あ。ええ、はい。基本的な曲でしたら、問題ありません」
「なら良かった。じゃあ急いで行って来てもらえるか」
「畏まりました」
「何か大変な事になって来てる?」
「……いつもよりは忙しい事になるかもしれません」


 では王子。出席の旨を連絡してきますので、お部屋にてお待ちください。テーブルの上にあった食器やケーキスタンド等を手早く片付けたユウセイは、ルアが室内に入るまで共にした後、準備の為足早に歩を進めるのであった。






 ルアは今まで、踊りを習った事が無い。だから舞踏会に行くならば踊りを覚えなければならない。しかも彼は王子だ。来たはいいけど踊れないから踊りませんなんて通用しないし、下手だけどごめんね? というのもあってはならない。

 なので靴屋と仕立て屋に注文を終え、帽子を選び、踊りの授業を始めてから三時間後……ルアは用意した部屋の床に、汗だくで倒れ込んでいた。


「つ……つかれた」
「お疲れ様です。王子」

 突っ伏すルアの横でしゃがみ込み、大丈夫ですかと声を掛けるユウセイ。ちなみにメイドは、今日はもう遅くなったからという事で踊りの先生を門まで見送りに行っている。


「舞踏会に行くのって、こんな大変なんだね」
「ですが、王子の呑み込みの早さは素晴らしいと先生も仰っておりました。この調子なら、舞踏会当日には見劣りしない素晴らしいダンスを披露出来ると」
「……ユウセイもそう思う?」
「勿論」
「でも踊り教わってる時、ユウセイいなかったよね?」
「……い、色々と他の仕事を片づけておりましたので……ですが、王子が素晴らしい方だというのは知っておりますので」
「ユウセイさ、オレが躍ってるの見てた?」
「……」
「……見てない?」
「あの、少しは、拝見しておりましたが」
「……そっか」

 むぅー。あんまり見てないのに褒められても嬉しくないと言う様に頬を膨らませるルアに、ユウセイは慌てながらもフォローを続ける。


「確かに踊っている所はあまり見ておりませんでしたが……それでも分かります」
「何でそう言えるの?」
「王子を見続けていると、分かるのです」


 その時は見ていなくても、俺はいつも貴方を見ているのですから。きょとんとするルアに、はっとなるユウセイ。今の言葉はまるで告白の様ではなかったかと焦る彼だが、


「そっか。たしかにユウセイなら分かってくれそう」

 と可笑しそうに笑うルアを見る限りでは、その心配も無用の様であった。



「じゃあさ、今見てくれない?」
「今、ですか」
「うん。上手に踊れるか分かんないけど」
「はい。是非お願いします」
「へへっ、じゃあ音楽掛けるね」
「俺がします。王子は御準備の方を」

 よいしょ、と立ち上がるルアの前を歩き装置の前へとスタンバイしたユウセイは、彼の合図と共にスイッチを押す。室内に今日何度も掛かった音楽が流れ始めると、何故かルアがこちらへと歩み寄って来る。


「王子?」
「何やってんのユウセイ。ほら、こっち立って」
「え?」
「オレ一人じゃ踊れないでしょ? だから相手して」
「え……え、お、俺がですか」
「ユウセイ以外に誰がいるのさ」
「そ、それは……あ、その、メイドが戻って来るまで待ちませんか」
「オレと踊るのは嫌?」
「そ、そうではなく、俺は貴方の使用人で、使用人が王子と踊るなどと」
「なら、ミールだってメイドなんだから同じ事じゃない?」
「う゛っ、それは、その」
「あ、やばい。ユウセイほら立って。こっちこっち」
「お、王子、俺は」
「オレはいっぱい踊りの練習して疲れてるんだから、『めーれい』しなくても一緒に踊ってよ!」
「…………か、畏まりました」
「へへっ、よろしい!」

 じゃあ、音楽掛け直そうか。まだ習いたてのルアに途中から踊り出す事は出来ない為、もう一度最初へと巻き戻される。音楽を再生した後観念したようにルアの元へと戻るユウセイの手を、ルアはまるで淑女に対して振舞う様に優しくそっと取る。



「オレと共に、素敵なひとときを」
「……は、はい」

 そして二人のダンスが始まったのだが……、




「……あらまぁ」

 先生を見送った後ルアへの飲み物を用意して部屋へと戻ったメイドは、まだ鳴っている音楽に練習熱心だなと考えていた先程までの思考と……目の前で繰り広げられている光景のギャップに、苦笑を禁じ得ない様子でそう零した。


「いだっ!」
「す、すみません王子」
「ちょ、ゆうせ、そこそうじゃな、い゛っ!」
「も、申し訳ありません王子!」
「わ、ちょ、だからお、お願いだから、お願いだから止まらないでっ」

 ルア様とユウセイがダンスをしている。そこはまぁ、ルア様からダンスをするよう命じたのでしょうから問題ではない。というか予想の範疇だ。けれどどうやらルア様にとって、


「ユウセイが実はダンスが下手だったなんて、思いもしてなかったのでしょうね」

 いや、わたしも見るのは初めてですが。だから練習中ほぼいなかったんですよね。こうなる事を予期していたのでしょうから。


 ルアの邪魔をしない様にという想いとは裏腹にルアの足を踏みまくっているユウセイの内心を思いながら、メイドは黙って不器用すぎる二人のダンスを見守る。音楽を邪魔しない様静かに入ってきたというのもあるだろうが……二人とも目の前の相手のステップに必死で、彼女が見ている事にも気付いていない。すると、


「ぅわっ!」
「王子、っ!」

 踏まれそうになった足を変に避けさせた事でバランスを崩したルアがユウセイへと倒れ込み、そのままユウセイも床へ尻餅を付いてしまった。二人の距離が、ワルツよりもずっと密着する。


「ぁ……」
「いだだだだっ、ユウセイ大丈夫?」
「ぇ、あ、は、はい。王子こそ、お怪我は」

 倒れた際に打ったのか顎を擦っているルアに、少し顔の赤いユウセイが慌てて応じる。大丈夫、と持ち上げられた顔との至近距離に、ユウセイの肩がびくっと震え、ぎゅうぅっと拳が強く握られる。


「ユウセイ? 顔赤いよ?」
「っ! そ、その、慣れない事に、疲れたのかもしれません」
「そうなの? たしかにさっきからユウセイの心臓、凄い音立ててるもんね」
「! き、聞かないでくださいっ」
「なんで? 別にいいじゃん。オレも体火照っちゃってるし。一緒だよ」
「火照っ……と、とにかく、音楽を止めましょう」

 上に乗っているルアを強すぎず弱すぎない力でどかせようとしているユウセイを横に、すっとメイドが装置の前に行き音楽を止めた。いきなり……気付いていなかっただけなのだが……現れた彼女に、二人とも、特にユウセイはとても驚いた。


「い、いたのか」
「はい。少々温くなったかもしれませんが、お疲れのルア様に蜂蜜入りのレモネードをお持ちしました」
「レモネード? やったオレ喉カラカラだったんだ」
「お食事の前ですので、量は少なめにさせていただきました。お風呂もお食事も用意が整っておりますが、いかがいたしましょう」
「んー……結構汗臭いし、先にお風呂入りたい」
「畏まりました。コックにそう伝えておきますね」
「うん。じゃあユウセイ」
「あ、はい。すぐに準備いたします」


 まだ食事を摂られていないから、用意するのはパジャマではなくこの間購入しておいたバスローブの方がいいだろう。そう結論付けたユウセイは赤い顔のまますぐに立ち上がり、思考を切り替えルアの下着とルームウェアの準備に取り掛かるのだった。



 こうしてルアは怒涛の練習を乗り越えて、なんとか舞踏会に出ても問題ないクラスまでの踊りを身に付けた。

 だが結局、彼が舞踏会に出る事は無かった。共には住んでいない彼の父であり国王が、招待状の事を聞き付け、ルアの代わりに別の者を行かせるとテンジョウイン伯爵に直接連絡を入れた為だ。

 そのことがルアに伝えられたのは舞踏会当日の昼。踊りを終え汗を流し、これを食べ終わったら着替えようと腹ごしらえのアフタヌーンティーを頂いている時だった。ルアにはまったく非の無い、ドタキャンとなったのである。




 ……そうして、その日の夜。舞踏会がドタキャンになり疲れがどっと出たルアは部屋で少し眠っていた。目覚めて時計を見ると、いつもならディナーが始まる時間……舞踏会が始まっている時間だった。


「王子。お目覚めですか」
「あ、ユウセイ。……お、おはよ」
「おはようございます。起きて早速なのですが、お召し物を御着替え願えますか」
「へ? 着替え?」
「はい。こちらの服へ、御着替えください」
「え……! ゆ、ユウセイ何言ってんの? 舞踏会は、もう行かなくていいんだよ?」

 窓際に置かれている真心の花が、じわりと青色に染まる。目が覚めたルアの傍に立っていたユウセイが持っている服は、仕立て屋がルアの為に心を込めて作った燕尾服だった。舞踏会は無しになったのに、と顔を俯かせるルアに、しかしユウセイはこう続ける。


「こんな時間に申し訳ありませんが、外出の用事が入っております」
「外出?」
「はい。王子も眠られておりましたし突然入った用事ですのでお断りしようかと思ったのですが……どうしても王子でなければならない大事な用事とのことですので、俺の独断で返事をさせていただきました」
「そ、そうなんだ。じゃあ……行かなくちゃね」
「ありがとうございます」

 そしてユウセイに手伝ってもらいながら着替えを終えたルアに、ユウセイは帽子屋と靴屋が選んでくれたシルクハットと靴を履かせて、襟元などを正す。


「さ、王子。こちらでございます」
「う、うん」

 正装に着替え終えたルアの前をゆっくり歩き、ユウセイは彼をその場所へと案内する。だがその足はエントランスではなく……中庭の方へと迷うことなく向かっている。


「ね、ねぇユウセイ。そっちは中庭だよ?」
「はい。こちらで合っております」

 さ、どうぞ。隙間から光がもれている中庭への扉をユウセイが開けると、そこにはたくさん置かれた明かりがぼんやりと闇を照らしていて、庭に植えられた木々や花々を幻想的に映し出していた。
 いや、置かれていたのは明かりだけではない。その傍に置かれたテーブルにはたっぷりの料理と飲み物が置かれているし、そのテーブルの傍には見知った顔……この城で仕えている使用人達が皆それぞれ正装して集まっており、やって来たルアに会釈し、笑顔を向ける。


「え……これって」
「王子。さ、あちらでお待ちしております」
「ユウセイ。これ、どういうこと? これ……これって、まるで」

 まるで……その先の言葉が紡げず、その場から足を進めることも出来なくなったルアに、ユウセイは静かに頷き、ゆっくりと手を挙げる。するとそれを合図としたように、幻想的な中庭へ聞き慣れた音楽が流れ始め、ルアの体がハッと震える。


 カドリール……舞踏会で、必ず最初に奏でられる曲。ルアがたくさん、たくさん練習した音楽。そしてその音に導かれるように、使用人達の中でも群を抜いて上質な……深海を想わせる、夜闇に溶けるような青のドレスを来た女性が優雅にルアの前へと歩み寄ってくる。美しいカーテシーと共に明かりに照らされた顔は仮面舞踏会を連想するマスクに隠されていたが……、


「ご機嫌麗しゅうございます。……こんばんは。ルア王子」
「! その声、ミール?」
「あら困りましたわ。仮面という秘密を着飾っているこの身には、その問いにお答えすることは出来ません」
「……えーっと?」
「王子。たとえこの女性の正体が彼女だったとしても、仮面を付けている者の正体を暴くのはマナー違反です」
「そ、そうなの?」
「はい。そしてこの女性こそ……今夜、どうしても王子でなければならない大事な用事のお相手です」
「え、ミール、オレに何か用あったの?」
「……うふふ。ルア王子。わたくしもまた、招待された者の身にすぎません」
「え?」



「わたくしは、今宵この城の中庭で舞踏会を催すので是非と、そちらに控えている素敵な執事さんからお聞きして、参上しただけですから」
「……え?」

 流れる音楽を邪魔しない、でもどこか楽しそうな女性の言葉に、ルアは弾かれる様にしてユウセイを見る。ばつが悪そうな顔で女性を睨むユウセイと、その視線をまったく気にすることなく口元の微笑みを崩さない女性に、今の言葉が真実だと知る。


「ゆ、ユウセイ? そうなの?」
「……なんのことでしょう」
「ユウセイさんには感謝してるよ。ユウセイさんがこの会を提案してくれたおかげで、こんな上等な服が着れたんだからさ」
「! それは、メイドがどこからか調達してきた服で俺が用意した訳じゃ」

 ルアの視線に合わせないよう横を向いたまましらを切ろうとするユウセイだったが、三人を見ていた使用人の一人が嬉しそうに話した言葉にうっかり反応してしまい、またルアの視線から顔を逸らす。もう逸らすというより、背ける並に顔が横を向いちゃっている。

「ユウセイ……」
 そんな彼に、ルアは、



「……ありがとう!」

 飛びつくようにぎゅっとユウセイに抱きつき、しがみつく。余程嬉しかったのだろう。勢い余ってしがみ付いた為か、被っていたシルクハットがぽすっと落ちてしまった。


「ユウセイありがとう! ありがとありがとありがと、大好き!!」
「え! お、王子っ」
「ユウセイ大好きー!!」

 ルアが抱きついてくる予想はある程度していたようだが、大好きと言われるとは予想出来ていなかったユウセイがあの、そのっ、と慌てる。それが何だか微笑ましくて、女性と使用人達の間に笑みが広がっていく。すると流れていた曲がふっと止まり、次の音楽が流れ始める。それに気づいた使用人の一人が装置の前に行って巻き戻してくれるのを見た後、シルクハットを拾った女性はルアへと声を掛ける。


「ではルア王子。僭越ながら、お相手の方よろしくお願いします」
「あ、うん! 任せて! ばっちりリードするからね!!」

 しがみ付いていた腕を離し向き直ったルアに微笑みを浮かべながら、シルクハットをユウセイに渡し、手を取り合う。


 流れ始めたカドリールに身を寄せ、任せながら、ルアと女性の初々しいダンスが見る者の心を和やかにしていく。

 たっぷりと、満ち足りるまで踊り続けよう。


 素敵な舞踏会は、まだまだ始まったばかりなのだから。


―END―
満足誌のお試し版として書いてみたネタだったのですが、長くて纏められないという理由でボツになったお話。所々に本編設定が転がっています。
ここ最近遊龍亞の裏ばっか妄想していたものだから、蟹執事(仮)の二人が可愛くて仕方ない。ていうかユウセイが可愛い。可愛くて弄り尽くしたい攻めですね!!
舞踏会当日のアフタヌーンティーにてドタキャン決定でルアが寝てしまってからの間、ユウセイは何とか王子のショックが少なくて済むようにコックにビュッフェ用の料理を作ってもらい中庭に並べ使用人達と一緒に明かりなどをセッティングし、メイドが調達してきた礼装を自分以外の使用人達に着せて準備完了。ルアを迎えにいったのでありました。自分は踊れないから、主と使用人の差を誤魔化す為メイドに仮面を付けてドレスアップさせたのでしょう! そして皆ルアのダンスを、発表会で頑張ってる子供を見る様な目で見ていたと思います。ルアはユウセイとメイドだけじゃなくて、使用人皆に愛されてますね!!

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!

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