【おいなりさんとお天気雨】

十代×翔



 アニキに怖いものなんてないんでしょって言った時。


『あるよそれ位。……今でも、怖いんだぜ』


 そう苦笑して、彼はボクを抱きしめたっけ。








 いつものように鳥居の上で風を感じながらのんびりしていた時のこと。


『? あれ? 雨?』

 眩しい太陽の見える澄み渡る青い空から、パラパラと小雨が降り始める。お天気雨なんて珍しいと思いつつ、ボクは別段気にすることなく鳥居の上でくつろぎ続ける。変身も実体化もしていないから濡れることがないってのも理由の一つだ。鳥居の下では巫女達がぱたぱたと境内へと走って行く。式神であり実体を持っている彼女達は、人間と同じく濡れることが好きではないらしい。


 すると、

『翔様。翔様』

 鳥居の下からボクを呼ぶ声がして見下ろすと、傘を差してこちらを見上げている一人の巫女と目が合う。


『壱翔(ひとび)、どうしたの?』
『翔様。兄君(あにぎみ)様が呼んでおります。お部屋の方へお戻りください』

 壱翔は最初にアニキが作った式神なのもあって、外見はボクより少し大きい程度。だけど十二人の巫女達の中で一番落ち着いた“良妻賢母”のような性格をしていて、アニキもよく彼女に伝言を頼んでいる。
 特にお天気雨が降る日は、必ず彼女がボクを呼びに来る。

『ん、ありがとう。……アニキも慣れないんすかねぇ』
『兄君様は、翔様のことがとても大好きですから』
『にしても、そろそろ慣れてほしいっす』

 鳥居から回転しながら飛び降りて変身したボクは、壱翔の傘に入れてもらって境内へと入る。翔様、翔様、と寄ってくる巫女達に壱翔が屋内で出来る用事を言い渡しているのを聞きながら、ボクはアニキがいる寝室へと足を運んだ。


「アニキ、入るっすよ」
「おー」
 静かにふすまを開けると、開けられた窓から静かに外を見ていたアニキがボクへと視線を移す。こいこい、とアニキが手招きするよりも早く彼の元へと寄りそえば、苦笑しながら、そのまま抱き寄せられる。


「翔にはかなわねぇな」
「アニキが甘えん坊なのは昔からっすからね」
「だってこんな雨が降るとさー……不安にもなるじゃんか」

 顔のすぐ横でひょこひょこと動くボクの耳を優しく撫でながら、抱きしめる力を強くするアニキ。昨日の夜も寄りそった広い胸板に顔を埋めながら、ボクはやれやれっすと息を吐いた。




『翔! 翔! いるか? 翔!』
 あれはまだボクの尻尾が一本しかなくて、アニキが“しょーがくせい”くらいだった時だろうか。その日も今日みたいに、お天気雨が降っていたっけ。

『アニキ? どうしたのそんなに急いで』
『翔! あぁ〜よかった』
 鳥居の上から下りると、余程焦っていたのだろう。ランドセルを背負ったままその場にしゃがみ込んだアニキに、何かあったのかと顔を覗き込む。するとアニキは荒い息を何とか整えて、ボクにこう話したのだ。


『翔が、いなくなったかと思った』
『? ボクはいつでもここにいるけど』
『うん。でも、翔が“およめさん”になっちゃったかと思って』
『・・・は?』

 その時のボクはアニキの言った言葉の意味が分からず、まぬけにも聞き返してしまったっけ。アニキの話によるとどうやらその日学校で、午後の授業をしていた時降ったお天気雨を見た先生が、

『あら。“狐の嫁入り”なんて珍しいわね。皆知ってるかな? 狐の嫁入りっていうのはね、こんな晴れている日に突然雨が降ることを言うのよ』
『先生。それじゃあ狐がお嫁さんに行ったら、こんな雨が降るの?』
『う〜んどうなのかな。もしかしたらそうなのかもしれないわね』

 ……って、狐であるボクと友達……あの時はまだ、友達だったんだよ……だったアニキにそう話した為、アニキは大慌てでボクの所へ駆けつけたらしい。もしかしたら、ボクがその“およめさん”になって、どっかに行っちゃったんじゃないかって。


『……あのねアニキ。確かに晴れた日に雨が降ることを狐の嫁入りって言うけど、ボクは雄っすよ?』
 そもそも結婚だの嫁入りだので考えるなら、闇夜の山野に狐火が連なっているのが嫁入りの提灯行列に見えるって方が、お天気雨よりも近いと思う。けれど“しょーがくせい”のアニキにそんなこと言ってもちゃんと理解してくれる気がしなかったので、あえて性別を前面に押し出してみる。

『いいや分かんねぇ。翔はスッゲー可愛いもん。だからおよめさんになっちまうかも』
 ……なのに真顔でこんなことを言い返してくるアニキの目は、凄く真剣で。だからこそ腹が立ったけど、自分よりもはるかに幼いくそガキ……こん! に怒るのは大人げないと、ボクは深呼吸して落ち着くと、少しだけ意地悪に言い返すことにする。

『まぁ確かに、いつかはそんな話も来るかもしれないっすけどね』
『翔およめさんになっちゃうのか!? そんなの駄目だぞ!』
『ボクの場合はお嫁さんよりお婿さんだけど……まあ、そんな話はまだまだ先っすかね』
『翔が他のやつのおよめさんになったら、オレすげー悲しい! だから大きくなったら、オレのおよめさんにする!』
『・・・は!? ちょ、ちょっとアニキ、何言ってんの?』
『オレが幸せにしてやるからな! 翔!』
『って、勝手にボクをお嫁さんにしないでよ!』

 人の話を聞かない糞餓鬼……けーんこんこん! アニキに、その時のボクは怒りながらも、あんまり深く悩む事ではないと思ってその後気にすることはなかった。いくら相手がアニキとはいえ、幼い人間の言う愛だ恋だっていうのは、ふわふわして現実味のないものだと知っていたからだ。



 けど彼が“こうこうせい”になった時、その言葉が本気だった事を知った。


 ボクのように神社などに祀られている神様だけでなく、全国あらゆるところに存在している神様達は、毎年十月……神無月に出雲大社へと足を運ぶ。十月十日から約十日間、縁結びの相談などで会議をしなくちゃいけないらしいんだけど、今までのボクは行くことは行ったけどあまりすることもなかったので日帰り同然ですぐに帰っていた。ボク一人抜けても全然問題にならなかったからっていうのも大きい。


 ただその年は今までの年と違って五日ほど出雲に滞在しなくちゃいけなかったのと……ボクが出雲へと向かった次の日に、お天気雨が降っていたらしい。

 そしてやっと用事が済みこの神社に帰ったボクを……鳥居の前で座り込んで待っていたアニキが真っ先に迎えてくれたのだ。


『アニキ?』
『っ!? しょう? 翔っ!』
 からっぽの瞳でぼんやりと空を眺めていたアニキが、ボクを視界に捕えた途端弾かれたように立ちあがり、傍に寄った途端そのまま強く抱きしめられた。背骨が軋むくらい痛く抱きしめている腕は震えていて、ずっとずっと、ボクの名前を呼び続けた。

『しょう、しょお、よかった。翔が、帰って来た』
 翔が、お嫁に行っちゃったのかと思った。……お天気雨が降った日に、ボクが神社にいなくて。アニキの前の担当だった神主に『今月は神無月だから、神様は出雲に行っている』と教えられたアニキは、そのまま『ボクが出雲にお嫁に行った』と勘違いしたらしい。
 けれど到底信じられなくて、ずっとずっとここで、待ち続けていたらしい。学校すらサボって、一日中、ずっと。それを聞いた時ボクはバカじゃないのと怒りそうになったけど、サボったのは最初の一日だけで、神主さんに学校をさぼっていてはボクが怒って帰ってこなくなるかもと釘を刺された為、残りの日はちゃんと学校に通ったらしい。神主さんグッジョブっす。


『……ていうかね。その件については“しょーがくせい”の時ちゃんと説明した筈っすけど』
『あぁ……けど、やっぱやだ。知らない内に翔がいなくなっちまうなんて、絶対にやだ』
『知らない内って、今までもこの時期は御留守にしてたじゃない。まぁこんなに長く向こうに滞在したのは初めてっすけど』
『それでもやだ。……こんな思いするの、もう嫌だ』



 翔がいなくなるの嫌だ。我慢出来ねぇ。だから大人になったらオレの嫁にする。

 ……そんな幼児の様なとても自分に正直な告白と共に、ボクのファーストキスはアニキに奪われたんだっけ。



 そうしてその後アニキはこの神社の神主となって、ボクの恋人になって、ずっと一緒にいる。その過程を話すのはちょっと面倒だから今話すのは止めることにします。


 ただあの“こうこうせい”の時のアレのおかげで……いや、アレのせいで、アニキはすっかりお天気雨が駄目になってしまったらしい。

 だからお天気雨が降ると、こうしてボクを誰にも渡さない様に、しがみつくように抱きしめる。お天気雨がやむまで。ずっと、ずっと。


 まぁ……それだけで終わるなら、可愛い所があるなぁってだけで済むんだけどね。


 さわっ
「きょん!」

 ずっとボクを抱きしめていたアニキの手がすすすっと下へ降りて、ボクの小さな尻尾を擦る。長く立派な三本に比べてまだ成長途中の小さな尻尾は触れられることに酷く敏感で、ていうかより触られるのに弱いからいつも三本の尻尾で隠しているんだけど……それを触ったということは、

「……アニキ。もう戻ってもいいっすか」
「駄目。まだもうちょっとこのまま」
「充分、元気になったっすよね?」
「んーにゃ、オレのハートはまだまだこうしていなくちゃ駄目だぜ」
「てことは、下半身は元気になったってことっすよね?」
「なんのことかな」
「しらばっくれるんじゃない、うわぁ!」

 抱きつかれた状態のままころんと押し倒されるボクに、見下ろすアニキは涼しい笑顔を浮かべるばかり。だってさぁ、と悪びれることなく続けられる言葉は、


「翔はオレの、お嫁さんだからさ」
「それがどうしたっていうんすかー!」

 って、あれ? 何時の間にボクはアニキのお嫁さんになったんだろう。そう思う間もなく言い返してしまったら、


「、へへっ」
 なんだか凄く嬉しそうな顔をしたアニキに、そのまま押し通されてしまいました。





 お天気雨が降ると、アニキはいつも不安になります。


『今度も出雲に行くんすか?』
『雨が降ったらな』
『そう言って毎年付いてくるっすよね』
『あっちで降るかもしれないからな』

 狐の嫁入りなんていうお天気雨が、ボクと離れている時に降るのが心底嫌みたい。怖いみたい。……バカだなぁって、単純だなって、すっごく思う。


『そんなに心配しなくても、ボクは傍にいるのに』

 こん、こん。だってボクも、アニキと一緒にいたいんだからね。


―END―
仕事から帰る時よくお天気雨に降られ、

そういえばお天気雨って狐の嫁入りっていうよな→あれ狐ってお稲荷翔に使えね?→お天気雨が降る度に慌てるアニキ→ 萌 え !

という式が出来上がり嬉々として書いたこの作品。実際にお天気雨だと思ってたのは職場のクーラーの室外機が丁度帰る道と同じ方向を向いていた為お天気雨と勘違いしたというオチがありましたが、こんなアニキってよくない? 翔君を好きすぎるアニキ萌える! と十翔モード全開で楽しく書きました。
ちなみに作中に書いた神無月は、出雲と諏訪大社の方では“神在月”というそうです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!


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